【刹那的アスコット】
◆No.4 『2歳馬の噂』
大体2歳馬が入厩するのが4月。
デビュー戦は6月。
その間、約10日間。
そう、最も熱い時期でしたw
今でもあるかとは思いますが、昔はそりゃぁもう噂がバンバン飛び交いました。
「誰それの2歳ハンパねぇらしい」
「あれは怪物」
「併させてもらったけどアイツはありえねぇ」
そりぁもう新馬戦や条件戦で当たらないようにメモしまくりましたさw
今と違って「紛れ」が全くない時期。
フリレで負けたけど本番では勝つ!というのが絶対にありえないんスもん。
いやその分フリレ計測がラクだったんですがw
実力が劣っている馬が勝つには、相手が不利枠に入った場合「のみ」でした。
なので重賞クラスの闘いまではひたすら逃げるワケですよ。
その時期で一番思い出深いのがアズナです。
キャットアズナブル、、、お父上がシャアだったんでw
競伝スタートして2S目、初めて色々自分で考えて、生産した仔の中の1頭でした。
生まれてすぐの2歳フリレ大会では、どこ行ってもブッ千切り。
スーパーぺーぺーの頃ですよ?むっちゃ大興奮ですよww
アズナも噂になったのか、知らない方から1:1で併せて欲しいとの要求もバンバンきました。
ほとんど返り討ちにしました。
激烈有頂天ですww
強い仔を持ったからには他馬の噂も人一倍気になります。
当時色んな噂が飛び交いましたが、今でも1頭だけ覚えています。
アートバラエティー、ヤツはヤバイ、と。

当時からもう既にブイブイ言わせていたリッキーさんの仔ですね。
いやもう戦々恐々。
どんだけ強ぇえんだよ、と。
その後は、どうしたらアズナを強くすることだけを考えてました。
成長のメールも無い時期ですからひたすら調教・計測の日々。
ガッチリ鍛えて準備は万全にすべし!
今思うとそれが裏目。
まだまだ経験の足りない自分の方針、それが失敗でした。
結論から言うと。
ただの超早熟のアドバンテージだった、というオチで。
デビューが遅れれば遅れるほど他馬との差が無くなって。
調教してるのに!なんで!!
自信満々のペーペー、激烈パニックww
だんだん普通の馬になっていくアズナがさっぱり分かりませんでした。
アートバラエティーも超早熟だったみたいで、2頭がぶつかった10月の札幌2歳Sでは2頭とも勢いは無く。
結局アズナは1勝止まり、OPや重賞では歯が立たず。
見えない影(噂)に怯えていたら旬(ピーク)を逃した、という甘酸っぱい思ひ出でした。
でもあの頃のフリレは活気がありましたねー。
チュートリアルも無く、皆で情報を出し合うって側面もありましたしね。
あれは反則だったよねぇw
レースでも絶対逃げてたわww